東商サミット

eiichi_img.gif  3月24日、東京商工会議所創立130周年記念式典が開催されました。東京商工会議所を作った渋沢栄一1840(天保11)年213日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。尊皇攘夷論者ではあったものの一橋慶喜(後の徳川第15代将軍)に仕え,慶喜の実弟昭武に随行して渡欧し、欧州の進んだ社会経済制度に触れました。その後、明治政府に任官して大蔵省で近代的な戸籍制度、郵便制度、貨幣制度、銀行制度などを導入しました。退官後、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の総監督・頭取となり銀行のほか500とも言われる企業の創業や経営に関わったのです。

明治維新後数年経つと幕末に列強諸国と結んだ条約は、治外法権を認め関税自主権を放棄した不平等なものである事がわかったのです。条約改正の為「世論が許さないから」と当時の英国公使(幕末より18年間在任)パークスに交渉しましたが、「日本に世論はあるか?」「日本には多数が集合して協議する仕組みが無い。」「個々めいめいの違った申し出は世論ではない」と反駁されたのです。かくして『世論』が必要となり、世論を形成する場所を作る為、時の大蔵卿大隈重信は渋沢に相談を持ちかけました。これを受け渋沢が真っ先に相談したのが若い頃に欧米を視察していた大倉喜八郎(大倉財閥の創設者)でした。大倉は同感し渋沢と一緒に実業人の間を回り賛同者を募りました。当時の風潮は官尊民卑で実業が軽視されていたのです。これを実業家の地位向上の好機として実業人7名と尽力し1878年(明治11年)、渋沢38歳の時に東京商法会議所の設立を実現させたのです。

私にはデモクラシーな渋沢栄一の「片手に論語、片手にそろばん」という言葉が一番の記憶に残っています。